criminal law

The first civilizations generally did not distinguish between civil and criminal law. The first written codes of law were produced by the Sumerians. Around 2100-2050 BC Ur-Nammu, the Neo-Sumerian king of Ur, enacted the oldest written legal code whose text has been discovered: the Code of Ur-Nammu[1] although an earlier code of Urukagina of Lagash is also known to have existed. Another important early code was the Code Hammurabi, which formed the core of Babylonian law. These early legal codes did not separate penal and civil laws.

The similarly significant Commentaries of Gaius on the Twelve Tables also conflated the civil and criminal aspects, treating theft or furtum as a tort. Assault and violent robbery were analogized to trespass as to property. Breach of such laws created an obligation of law or vinculum juris discharged by payment of monetary compensation or damages.

The first signs of the modern distinction between crimes and civil matters emerged during the Norman Invasion of England.[2] The special notion of criminal penalty, at least concerning Europe, arose in Spanish Late Scolasticism (see Alfonso de Castro), when the theological notion of God's penalty (poena aeterna) that was inflicted solely for a guilty mind, became transfused into canon law first and, finally, to secular criminal law.[3] The development of the state dispensing justice in a court clearly emerged in the eighteenth century when European countries began maintaining police services. From this point, criminal law had formalized the mechanisms for enforcement, which allowed for its development as a discernible entity.


明治初期の刑法典

仮刑律

慶応4年(1868年、後の明治元年)2月に新政府によって暫定的に制定された刑法。律令や公事方御定書などを基として作成された。また、刑法草書(熊本藩)との共通点も見られることから、熊本藩出身者(当時新政府に出仕していた細川護久とその周辺か?)が起草したという説が有力である。旧天領である府県に対して施行され、諸藩に対しては残酷な刑罰を除去する事を命じた上で当面の間は自藩の刑法を施行させた(版籍奉還後は死刑執行には政府の許可を得ることとなった)。

新律綱領

明治3年旧暦12月27日(1871年2月16日)に暫定的ではあったが、諸藩も含めて全国的に施行された刑法。全6巻(8図、14律192条)で構成された。清律の影響を受けて旧来の刑法よりは厳罰主義色は減ったものの封建的色彩が依然として強力であった。また、江戸幕府では禁じられていた刑法典の出版・頒布が初めて認められた。

改定律例

明治6年(1873年)6月13日に制定された追加法。欧米の近代刑法の影響を受けて、刑罰を簡略化して残酷な刑を廃止した。構成要件に関する規定を初めて設けた。

旧刑法

刑法(明治13年太政官布告第36号)は、今日では現行の刑法と区別して「旧刑法」と呼称されている。明治13年(1880年)7月17日に治罪法(刑事訴訟法)とともに制定され、同15年(1882年)1月1日に新律綱領・改定律例に代わって施行された。全4編、430条から成る。

明治5年(1872年)頃から司法省内で本格的な刑法草案の起草が進められていたが、「校正律例稿」(明治7年)・「日本帝国刑法初集」(明治9年、「改正刑法名例集」とも(総則のみ))などいずれも不十分なものであった。そこで司法省はボアソナードにフランス刑法典を基本にした刑法草案の作成を依頼して、でき上がった草案を元に元老院内に伊藤博文(後に柳原前光に交代)を中心に陸奥宗光・細川潤次郎らとともに「刑法草案審査局」を設置して審議を行って修正を加えた。

犯罪を重罪・軽罪・違警罪の3種類に分けて規定している。基本的には1810年に制定されたフランス刑法典を基本にしているが、自首による罪の減軽(85条以下)、親族関係への配慮(犯罪を犯した者を蔵匿・隠避した親族に対しては罪を問わない(153条)、親族間の窃盗については罪を問わない(377条−親族相盗例)など)、不敬罪の厳罰化(117条、119条)など、日本の伝統的な法思想に基づく規定もある。対外的には日本が文明国であることのアピールを目指した側面と、国内的には自由民権運動の激化に対抗するための治安法制としての側面が見られる。

刑法典論争

ところが、旧刑法制定の直後から、この刑法に対する不満の声が政府内から持ち上がった。旧刑法はフランス法の影響を受けて国家による処罰権の行使に制約が加えられていること(さらに民法典論争で同じくフランス法をモデルとした旧民法が非難の的となったことも影響した)、このころヨーロッパでは新しい刑法理論(近代学派(新派))が誕生して、従来の理論(古典主義(旧派))と激しい論争が行われているのに、旧刑法ではその成果が反映されていないことなどが問題視された。さらには当時の社会の急激な変化に伴う犯罪の増加に対して対応できていないという不満が批判に拍車をかけた。このため、保安条例・治安警察法などの新しい治安立法や「賭博犯処分規則」・「命令ノ条規違反ニ関スル刑罰の件」(1890年、行政罰を定めた法令で当時は罪刑法定主義との関係で推進派の伊東巳代治と違憲論の井上毅の間で激論が交わされた)などによって、旧刑法の理念との矛盾を含んだ新しい法令が次々と定められ、一部には「刑法不要論」まで唱えられる始末であった。

この動きを見た司法省は、ドイツ刑法を中心に各国の刑法を参考にしながら、新しい刑法を制定する方針を固めた。改正案は1890年・1895年・1897年・1901年・1902年と5度にわたって議会に提出されたが、政治的な問題で廃案とされたり、弁護士会(時には検察官や裁判官も加わった)の反対論などによっていずれも挫折してしまった。

現行刑法の制定

第1次西園寺内閣の司法大臣であった松田正久は、官僚だけでなく学者や弁護士、帝国議会両院からも代表を迎えた「法律取調委員会」を組織し、そこで刑法改正論議を行わせることにした。松田の苦労が実を結んで、明治40年(1907年)に現行の刑法が成立した。

新しい刑法には、強力な治安法制を確立させたいという政治的な思惑が反映される一方で、犯罪類型について抽象的・包括的な定め方がされ、法定刑の幅が広く取られた。裁判官の解釈や量刑の余地が大きく、その裁量によって執行猶予を付すことができたり、逆に累犯に対しては重い処罰をすることができるものとなった。これは犯罪者の更生や社会防衛のための柔軟さを兼ね備えたものであり、当時の国際水準においては最先端の刑法典であった。だが、その一方で政治的な意図が運用に反映され過ぎれば、人権が侵される危険があり、実際に刑事裁判においてはその歴史をたどってしまった。それが克服されたのは、司法行政権が、内閣を構成する司法大臣から裁判所の下に移り、人権の尊重を謳った日本国憲法の制定以後のことである。

改正刑法草案

時代の変遷や社会の高度化に伴い、原因において自由な行為や共謀共同正犯など現行の刑法が想定していなかった問題が山積していたため、政府は大規模な刑法の改正に乗り出した。そして、昭和49年(1974年)5月29日、法制審議会総会が、前述の問題に対する解決や保安処分、現代的な犯罪類型などを盛り込んだ改正刑法草案(全369条)を決定した。しかし、犯罪となる行為の範囲が広くなりすぎる、国家主義的であるなどの批判を受け、国会に上程されることなく現在に至っている。

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